空軍技術研究所

〜その34〜                                           


日記 皇紀2664年8月18日 相馬馬助

静岡県の富士川西側は山沿いは富士川町(現富士市)海沿いは蒲原町(現静岡市)になる。
富士川河口の西側は日本軽金属蒲原工場の広大な敷地となっており、町の面積の4%にも及ぶ。
蒲原、由比、興津と海沿いにまで山が迫る地形となっており、蒲原工場が背負う山の上には巨大な3本の水力発電用導水路が見える。
これは山梨県本栖湖、富士川の源流である佐野川などから延々導水路を引き、6箇所の水力発電所、合計出力142,500KWを誇る日本軽金属社有の水力発電設備だ。
電力事業者を除き、企業で唯一の水力発電設備を所有し、豊富な電力により国内唯一のアルミニウム製錬事業を行っている。
この3本の導水路が見える山の上にあるのが日本軽金属技術センターだ。
素材、加工、利用方法などの研究開発をしている。
蒲原の駅に降り立つと徳間君が出迎えてくれた。
「やあ中尉、ご足労ありがとうございます」
「こちらこそわざわざありがとう」
徳間君の運転で技術センターへと向かう。

まずは、ということで通常の見学者と同様の見学を行う。
若い研究員がガイドにつき、所内と展示されている研究成果の説明を行う。
「こちらはアルミ製の橋梁構造になります」
「橋ですか?強度的に問題はないのですか?」
「はい。自体が軽量なために構造で使用されるコンクリート、通行する車両などの総重量を支える強度が鉄製に比べ小さくなります。また錆びによる強度低下があまりないため、寿命が延びトータルコストの低下に繋がります」
「デメリットは?」
「やはり初期コストが鉄に比べて高いこと、溶接作業がやや難しいことがあげられます」
次に見たのは奇妙な形状の自動車用バンパー構造だった。ハニカム構造のようだが、三角や五角形、また各所で板厚も異なる。
「このバンパーは異形型材を使用したバンパーです。計算により様々な方向からの衝撃を分散吸収するように形状が最適化されています。この異形型材の製作にあたり最も苦労したのは、各部ごとに素材量が違うことです。これはいわゆる押出という方法で融解したアルミニウムを型で押し出してトコロテンのように製造しますが、圧力のかけ方に工夫をしないと、型材がまっすぐにならないのです」
「なるほどー」
次はスライドコーナーになっていた。
鍛造部品の事例説明だ。
「こちらも同様です。従来は定型のスラブつまりは材料の延べ棒を切断して、鍛造金型つまりは人形焼きのようになっているもので挟んで、高い圧力をかけて目的の形に成型していました。この際はみ出た部分は後で切り取ったりするわけですが、決まった形状の素材を使っていると効率に幅が出てしまいます」
「ムダが多いと」
「はい、圧力も高めに必要なことが多く、金型も工程を複数化させる場合もありました。で、さきほどの異形型材の技術と鍛造中の流量演算を併用しまして、目的の製品形状に最も適した型材を作って、これを鍛造します。これにより工程、歩留まりが大いに向上し、設備の軽減にも効果をあげることができました」
素直に感心した。大きい会社はえいやっと大胆なことができる。これは零細企業には出来ない真似だ。
知恵を出す複数の人間によって効果的な案が検討され、予算が投入され、製造方法自体から変えてしまう。
職人だけでは成しえない、やはりどうしても必要になることだ。

その後素材組成担当や各部の担当者と打ち合わせに入る。
「現段階では試作機の開発段階ではありますが、将来的には競合で採用され量産できるものと確信しています」
たたき台ではあるが、予定されている次期主力戦闘機採用会議へ向けての資料を持ってきた。
「三菱、中島、また川崎や九州でも試作機の開発が行われている模様です。年内には設計図、仕様図などをもとに1次選考が行われます。それらを経まして、2666年中には試作機の実機および周辺装備の開発を含めた総合的な審査が行われ採用にいたるものと思われます」
「これは空軍のみの採用予定ですか?」
「採用審査自体は空軍で行われますが、基本的には三軍の調達がなるべく足並みをそろえて行われます。結果審査に漏れた機体を限定された用途で採用する場合もあります」
担当者達はすこし顔を寄せて相談していた。
「われわれは本来営業ではないので、技術自体、または要求された内容のみに注力する姿勢でした。しかし企業としての図体が大きくなり、いわゆる小回りが利かなくなり、結果視野狭窄に陥る場面があると自己分析されたのです。まだまだ過渡期ではありますが、所属を超えた一件につき一つのプロジェクトチームを編成して、営業的な面も踏まえた技術の開発、提案を行うように努力している最中です」
近年いわれている縦割りの組織の改編だ。本当は軍でそれをやりたいのだが、さすがに命令系統の混乱を招いては仕方がない。
「今回中尉においでいただいたのは、顧客である空軍を代表して中尉、日軽からは営業の徳間君、われわれ技術陣、蒲原製造工場の製造担当、設計部、そして外注先の金型メーカー、機械メーカー、部品製造業者まで含めたチームの設立をお願いしたいと思ったのです」
徳間君が後を続ける。
「無論これはあくまで日軽が空軍へ素材、またはアルミ製部品を納入するためのチームであり、空軍での航空機計画自体に立ち入るものではありません。また試作段階でのチーム設立は尚早というお考えもあるでしょうが、早い時期から量産時のコスト削減、納期短縮、整備性の向上を意識して作りこみをしていくことは機体の熟成期間の短縮や初期不良の軽減にもつながります」
よい試みだと思う。わたしが今こうしてあちらこちらへと歩いている意味とも完全に合致する。
試作機、先行量産機、量産機の性能にあまり差異を発生させず、最初から量産時の製造マニュアルを想定しつつ形にする。
米国のやり方に近いのかもしれない。
帝国は要求性能がいろいろ盛りだくさんすぎるきらいがある。
結果先鋭的な性能だが、コストが高く、製造に時間がかかり、整備性や操縦性の悪い機体ができたりする。
米国のように性能差は数量で補うような真似は無理だが、コストが下がれば数も用意できる。
整備性が高ければ稼働率も上がる。
その上で狙える限りの高性能を狙う。
それが理想だ。

「機密に触れない限りは情報を共有し、積極的な意見交換を行う」ことを確認して技術センターを後にする。
「無理言って来ていただいてありがとうございました」
と、徳間君。
「いや、有意義だったよ。空技研の連中もたまには見学に来てみればいいかもしれない」
「結局軍需産業は連綿と続いた決まった企業の中でのみ続いてきたものですからなあ。われわれは何をするにも手探りというわけです」
「それは空軍も同じだよ。水も澱めば腐る。今回のことが機会になっていろいろ風が吹けばいいと思うんだ」
「そうですねえ、いやまったく」
軍需産業では米国は良い見本だ。効率と技術革新を追求し洗練された体制を維持している。
しかし帝国でそれをやってもうまくいかない。
所詮違う文化、違う産業構造なのだ。
それになんでもかんでも米国がいいわけではない。ダグラス、ボーイング、ロッキード、グラマン、ノースロップ、カーチス、ジェネラルダイナミクス、そういった大きな航空機メーカーが市場と技術を寡占することにより、かならず腐敗と停滞を生む。
帝国は一貫生産ではない。
下を見れば軒下で仕事をするような小さな工場でも製品と技術が生み出される。
勤めているわけでなく自分で仕事をする。
その誇りと矜持は時に管理された品質を凌駕する。
図面どおり、言われたとおりの安定した仕事も無論大事だが、図面を見て気づいたことを遠慮なく言う、使う人間の立場に立って図面の変更を要求する、そのようなパワーが帝国の産業構造にはある。
知恵を出し合う。そんな文化が強みなのだ。

そしていよいよ明日、名古屋に行く。
やはり緊張する。
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