空軍技術研究所

〜その31〜                                           


日記 皇紀2664年8月9日 相馬馬助

慌しい一週間だった。
結局事件は公にされず、空技研においてさえ一部の人間しか知らないままだった。
「小此木は三菱新規計画のため急遽呼び戻された」
ということになった。
三菱重工会長、三菱商事社長といったお偉方が市ヶ谷に呼び出され釈明に追われたらしい。
釈明といっても事実は判明しているので落としどころを探る争いだ。
結局機密にあたるものは持ち出されず、不具合の内容も伝わることはなかった。
それが幸いし、再発の防止となんらかの取引が行われて収束したようだ。
剣崎に聞いたが
「詳細はわからん。雲の上の話だ。ただし小此木に関しては三菱にすんなり返すわけにもいかず、当面こっちの情報部で拘束することになった」
ということだった。
詳しい尋問が続くのだろうか。
堀井少将からの話では
「小此木の実家に関しても三菱に注意として釘をさしておいた」
とのことだった。
わたしも中島少将にお会いしにいって出崎精密と小此木製作についてお願いしておいた。
どうなるかはわからんが声はかけておくという返事をもらった。

さて不具合の問題だ。
いよいよ本陣へ斬りこむ。
今回はサポートに剣崎をつけて即押さえられるようにする。
8月19日に予定を決めた。
場所は愛知にある三菱重工名古屋工場だ。
盆前あたりからここの責任者がサイゴンへと出かけるらしい。
8月21日までの出張予定ということで空き巣狙いをやる。
名古屋工場は航空機部門では最大の製造ラインがあり、関連会社も工場内に同居している。
責任者はそのうちのひとつの会長を兼務しており、肩書きは三菱重工取締役常務、航空機事業本部長兼東海三菱航空工業会長というそうだ。
もともとは町工場であった自社工場を三菱の東海圏最大の下請けに育てあげ三菱グループ入り、本社常務にまで昇りつめた伝説の人物らしい。
しかし堀井少将によると
「あいつは接待で仕事を取るタイプだ」
とのことで、職人大好きな堀井少将とはウマが合わないらしい。
下請け社長と大企業の購買担当の接待まみれはひどいらしく、財布ももたずに高級クラブに出かけ会計の段になって下請けに電話するとか、
「今度一杯いきましょう」
と下請けが購買課長を誘ったところ課員15人がタクシーを連ねて現れたなどなど枚挙に暇が無い。
しかしこの常務は自分も率先して遊ぶほうだったらしく、酒豪、性豪と揶揄されたらしい。
ということは海軍へも随分鼻薬を利かせているのだろう。
空軍へこの件を投げてきたのはそうした事情もあるわけだ。
空軍はいまだ上客となる見込みもなかったので接待攻勢を受けていないのだろう。
要は徹底的にやっていいということだ。
やりすぎたら上が何かするだろう。
そう、正直わたしは腹を立てていた。
産業スパイという言葉は知っていても、まさか自分がターゲットになるとは思わなかった。
勿論あちこちから危険性は指摘されていたが、まさかあんなやり方で・・・
そしてあの9mm拳銃の一件がなければきっと気づかなかった。
それが一番腹立たしい。
剣崎も身元調査についてはもっと慎重に行うと言ってくれたが、そういう問題でもない。
単純に腹が立つ。
だから三菱のガサ入れは容赦しない。

方法をまとめると、まず空軍の技術的な見学という名目で立ち入る。
検査工程に行き、検査項目をあたる。
検査記録をあたる。
検査の漏れを確認次第、剣崎が身分を明かし設計の製図担当者、図面確認者、検査責任者と工場責任者を呼ぶ。
証拠をつきつけ事実確認させ、言質をとる。
以上だ。
100%三菱の責任と認めさせ、改修に関わる費用を負担させることになるだろう。
ここまでのことをしでかしておいてなんの責任も取らせないわけにはいかない。
日軽金の徳井君から連絡。
『中尉昇進おめでとうございます』
「ありがとう」
もうなにがありがたいかわからんが。
『前に言っていた日軽金の研究所ですが、行ってみませんか?』
「すまんね、予定が立て込んでいるんだ」
『聞いています。今度名古屋に行くそうで。そのついでに調整できませんか?』
なるほど寄り道できないこともないな。
「わかったちょっと調整してみるよ」
そう答えながらもうひとつ考えていた。
(そうか、もうすぐお盆だな)
盆の中日くらいには休暇を貰ってもいいな。
静岡の実家に帰ってみるか。

お盆のことを思い出したからだろうか、帰省の準備をする者も目に付いた。
交代で休みを取るので早めの休みの者達だろう。
「よう折原。帰省か?」
「おう、相馬。残念だったな」
「何が残念なんだ?」
「小此木だよ。折角貴様に懐いていると思ったのにスパイだったとは・・・!」
折原は最後まで言い切れずに笑い出した。
「貴様のような朴念仁になびく女がいるわけないと思ったんだよ」
「・・・」
無言で頭に拳骨を落とす。
「いてえ!なにしやがる!」
「あんまりふざけたこと抜かすとぶんなぐるぞ」
「なんだとこの野郎!」
「折原よ、空の上ならお前の独壇場だが、地面の上で同じように行くと思うなよ」
「上等だ!」
1分後、折原は廊下で大の字になっていた。
折原が弱いわけではないが、残念ながらわたしは大東流合気柔術を修めている。
佐川幸義師範に直接教授いただいたこともある。
折原も知ってるはずなんだが。
「相馬」
「なんだ」
「気落とすなよ」
なんだ、こいつ流の励まし方か。
「おう」

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