空軍技術研究所

〜その23〜                                           


日記 皇紀2664年7月5日 相馬馬助

小此木は非常に熱心だ。
細かいことにも食らいついて聞いてくるし、納得できるまで掘り下げる。
親方について機械の扱いも教わっているが、わたし以上に覚えが早いと親方も太鼓判だ。
おかげで多少ほったらかしにするはずが結構面倒をみている。
教えられ上手なのかもしれない。
ひとつ問題があるとすれば三菱で何をやっていたのか、と嘆きたくなるほどにまっしろに近い。
若いし女性でもあるので、雑用やお茶くみにでも使われていたのだろうか。
確かに表面処理といえば鍍金や電着塗装、ダクロ(クロムフリー化が進められているので正確にはダクロではない)といった内容はウチで直接役立つものではない。
図面はまあまあ読めるのに実務の経験が異様になさそうな印象だ。
部署の責任者は無能だったのか?
これほど有能な人材は伸ばし甲斐がありそうだというのに。
手がすいた時に世間話もした。
小此木は群馬の出だそうで、聞いてみれば実家はわたしとおなじ町工場の経営だという。
「でも経営はとても厳しいのですよ」
小此木は少しうつむきながら言った。
幸いわたしの実家は比較的仕事に恵まれていて贅沢さえしなければ暮らしていける。
だが実際は中小零細の工場の多くは厳しい経営環境に置かれている。
大元の自動車メーカーや電機メーカーは常に過当競争にさらされている。
近年は諸外国の勢力の台頭も著しく、完成品だけでなく部品でさえも調達先を海外に求めるようになっている。
そして製造業は独特の縦構造があり、メーカー、一次下請け(メーカーに準ずる規模)、二次下請け(地域におけるトップレベル企業)、三次下請け(従業員数十〜数百人程度の問屋兼製造を受け持つまとめ屋的企業)、四次下請け(個人経営〜十数人程度の企業)というように所謂会社の格によって
どれだけ中間搾取されるかが決まっている。
これらは末端の製造者の管理をする手間とリスクをメーカーが避けたもので中小では扱えない設備の仕事や、品質管理の細かい内容をある程度大きな会社で面倒をみることによって全体の品質維持するというメリットもある。
しかし実際には搾取する比率は相当なもので、たとえばある部品が1個100円でメーカーが発注したとする。
一次は50円をピンはねする。
二次は25円をピンはねする。
三次は15円をピンはねする。
実際に仕事をする四次下請けは発注金額の1割で請けるということも珍しくない。
中には五次下請けがあるケースもあり、100円の仕事を5円で加工することすらある。
「仕事があるだけありがたい」
と、ほとんどの場合は親会社に盾つくこともできずひたすらに働く。
そういう状態を抜け出したければ、新技術を開発したり抜群の技術力をもって差別化を図るしかないのだが、そういう例はごく稀だ。
なかなか真面目にやるものが馬鹿をみるという構図はなくなりそうにない。

さて一方の日下部は折原にしごかれている。
これは操縦訓練ではない。
伏神は一応空技研の整備班で真神との相違点を照合しながら再整備中だ。
なにをしごかれているのかというと、田舎ぐらし(?)になるのか。
空軍でも花形だった帝都防空隊からこの辺境の開発飛行隊に転属になったので、自機の整備の手伝いや滑走路の草むしり、相澤さんの手許など自分がやらされてきたことを振り分けるらしい。
いや折原のことだから丸ごと押しつけるつもりだろう。
しかし、あのぼーっとした印象の日下部が昼間に草むしりしているのはなんともハマる。
白いランニングシャツに麦わら帽に首には白手ぬぐいだ。
こいつが本当に飛行機に乗らせると凄腕だとはどうしても思えない。
イメージとしては折原の方がまだ操縦士向きだ。
「日下部、精が出るな」
「あ、相馬中尉」
日下部は律儀に敬礼する。手を挙げて制する。
「どうだ?慣れそうか?」
「冬にならないとわかりませんが、この時期は梅雨もなくて過ごしやすくていいですねえ」
うん気候の話ではないな。
「いやいや空技研さ。せっかくの出世コースだったのに僻地にきてしまったしな」
「あー」
と日下部はポリポリ頭を掻いた。
「僕は帝都防空隊で隊長をやるような柄ではないんですよ」
ふむ、でも小隊長を務めていた筈だな。
「僕は空にあがるとどうもビクビクしちゃうんですよお」
日下部は上を見上げる。
「空戦が怖いってワケじゃないんですが、やっぱり戦争するわけじゃないですかあ。昨日まで一緒に飯食ってた奴が火だるまになって墜ちていくことがあるって考えるとやっぱり怖いんですかねえ」
いつもはぼーっとはしているがおどおどしている風ではないものな。
「なのでなるべく慎重にやってるんですが、そうするとどうも撃墜数は伸びないし部下はちょっとやりにくそうにしてたんですよお」
なるほど、根っからの二番機気質かもしれない。
日下部は少し周りを見回して声をひそめる。
「これ内緒ですよ」
と前置きして
「折原隊長が来て僕を誘ってくれた時、内心ほっとしたんです。同時にわかったことがありました」
続きはなんとなく想像できた。
「僕は隊長のバックアップをしてる時が一番楽しかったんです。そりゃ怖いのは同じですし、あの人は無茶に突っ込んでいくので大変なんですけど」
日下部はニコニコしている。
「でもこうなんかしっくりくるんですよお」
折原もああ見えてちゃんと日下部のことを見ていたのかもしれない。
日下部が一番力を発揮できる場所、それが自分の下だということをわかっていて機を見て誘いに行ったのかもしれない。
「そうか。なんだかんだいっていい隊長だな」
「それはどうでしょうかねえ」
二人して苦笑する。

日下部とわたしも手伝って三次元加工機のテーブルを大きいものに換装できた。
親方のつてで古い機械のパーツを直してメーカーにつけかえさせた。
制御プログラムの入れ替えや、精度出し(加工機はだいたい±2ミクロンというレベルだ)はさすがにメーカーのサービス担当がやるが、機械の図体が結構なものなのでゲージの目盛を読んで伝えたり、調整のネジを1ノッチずついじったりと手伝いは多いほどいい。
以前ならまた恐ろしく大きな三次元投影機等の計測機器を置いて、出来上がった加工品の寸法を採る必要があったのだが、近年は便利になってハンディスキャナーの精度が異様に良くなっている。
少々専門的な話になるが、据え置き型の計測機はモノを投影面に置いて、ゼロ位置を画面上でポイントして必要な部分までの距離を測る。
場所や機種によって違いはあるがおおよそこんなものだ。
しかしハンディスキャナーの場合はレーザー光の反射によってスキャナーと対象の距離を計測し続ける。
ポインターを対象の全周囲に当てれば電算機の画面には取り込まれた対象の姿が映しだされる。
画面上で任意の点をゼロ点に設定してやれば必要な寸法が全てわかるという仕組みだ。
ざっくりと今後の試62甲の工程を言うと、
@木製実物大模型ができる
A風洞試験と手直しをしてスキャンする
B強度計算をしつつ外板を部品に切り分ける
C実機素材を用いて部品を製作する
D骨格と組み合わせる
E再び風洞試験と電探浸透試験をする
F発動機と武装を取り付ける
G地上試験
H飛行試験
なんだかすぐできそうに思えるが、まだたっぷり2年はかかる。
それでも随分急ぎ足だ。
そうそう、そういえば試験機の製造は一応4機だ。
当面は1機製作していくが、一定の区切りをつけて、そこまでの問題がクリアできた時点で順次2号機、3号機とかかっていく。
トラブルや最悪墜落ということもないとは言えない。
4機試作分の予算を獲得できているので最大限に活用させてもらう。
おそらくは違った発動機の搭載、武装を変更した場合のバランス、艦載機仕様にした場合の主翼折りたたみなどをテストしていくと思われる。
そう考えると4機でも足りないが、ないものねだりはできない。
そういう環境には慣れている。
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