空軍技術研究所

〜その22〜                                           


日記 皇紀2664年6月29日 相馬馬助

日下部が着任した。
折原が間抜けだ、昼行灯だと吹聴していたのでどんな盆暗かと思っていたのだが、いやいやどうして飄々としてはいるが胆力のありそうな男だ。
「日下部栄太空曹長着任しましたあ」
うん。
しゃべり方は確かに間抜けっぽい。
そうそう。
日下部は昇進して着任した。
それと同時に折原のヤツも少尉昇進だ。
2機いれば一応小隊ではあるし、七〇二という飛行隊の隊長でもあるので少尉でないと格好がつかないという理由のようだ。
わたしも辞令が届いて中尉昇進だ。
本来は岐阜か東京まで叙任に出向くのだが、略式ということで中島少将から昨日任命状を手渡された。
中島少将によるとやはり緋緋色金の発見を口実にして空技研でのわたしの影響力を高めようという狙いだそうだ。
言ってしまっては身も蓋もないが、緋緋色金発見からあまりにも短期間すぎる。
主要部で関われなかった真神完成では手柄に薄いので合わせ技にできる内容を探して準備してた、というのが事情らしい。
昇進しても仕事ができるようになるわけではないので実務で精進しお返しするしかありません、と言ったら
「地位と金はあっても困らん。思ったことを言ったりやったりするためにはどちらも必要だ。固執してはいかんがもう少し貪欲になったほがいい」
と諭された。
面倒も増えると思うのだが、それを忌避してはいけないということか。
うん、肝に銘じておこう。
ちなみに折原は
「尉官として恥ずかしいことのないように。不祥事を起こしたら降格するぞ」
と釘を刺されていた。
そんな訓示は聞いたことがない。
あいつの評判は酷いな。

小此木二等空曹も着任した。
「お、小此木舞子二等空曹です!三菱技研より出向扱いで参りましたが、研修のつもりはありません!二等空曹のお役をいただいたからには全身全霊奉公させていただきます。よろしくお願いします!」
実に元気がいい。
余談だがなかなかの美形だと思う。
背は160糎くらい。細身ですらりとした印象。
やや短めの髪をひっつめにまとめてあり快活な雰囲気だ。
いかん、詳しく見てしまった。
折原は盛大な拍手を送っている。
「折原毅一少尉だ!小此木の歓迎会をやるからついてこい!」
「隊長〜、ぼくの歓迎会はないんですかあ?」
「うるせー!糞して寝ろ!」
はあ、馬鹿だな。
「相馬馬助中尉だ。。機体外板を主に見ている。折原少尉の言うことは基本的に無視していい」
「なんだと相馬!てめえ!」
「折原〜いい加減にしとけー!」
ついには所長から叱られる。
これは酷い評判も当たり前だな。
三菱技研ではおもに表面処理技術に関わっていたそうだ。
畑違いな気もするが、研修目的で来たということはここで吸収しようと思ってきているということだ。
一から仕込んでやればいい。ただし暇があれば、だが。
ここは一丁相澤さんに預けるか。
ともあれ当面は手伝いをさせるしかない。

そんなわけで図面を読めない日下部は折原に押しつけて、小此木を図面の山の前に引っ張ってきた。
段取を教えてやる。
小此木は大きく目を開きながら聞き入っていたが、実際図面を取ると気付いたようだ。
「これウチの…」
「ああ、三菱の図面だな」
「申し訳ありません」
「君が引いた図面ではないだろう。気にする暇があったら仕事をすすめよう」
「はい!」
しょげそうになった小此木だったが、すぐに快活さを取り戻す。好印象。
慣れない手つきながらも組図と単品図を照らし合わせながら先任達に気になる部分を聞いている。
理解もなかなか早い。よろしい。
人当たりもいい。
女だからといって媚びるような態度を取るでもなし。
あとは折原にさえ気をつければ存外拾いものの人材になるかもしれない。

剣崎によると海軍による作戦が既に開始されたらしい。
中東、具体的にはシーア共和国への支援作戦だ。
無資源国に等しい帝国はどうしても中東へ化石燃料を依存する。
しかし宗教的対立や政治的不安がなかば日常と化している中東では紛争も絶えない。
武装組織の蜂起程度で済んでいるうちはいいが、内戦、またはそれに乗じて周辺国による侵攻が発生しては、すぐさま原油の輸出に深刻な影響が出る。
帝国でも製造業への調達不足、価格の高騰など既に影響が出ている。
大国である米国も一昔前までは中東での変化に非常に敏感で、ひとたび事が起こればすぐさま空母打撃群を展開し、彼らの利益の敵となる勢力に対して苛烈な攻撃を加えてきた。
国際社会で非難する者がいようと、国内で「未来ある有望なアメリカの若者」の犠牲に対しての抗議があがろうとも、彼らの正義の鉄槌はためらうことなく揮われてきた。
ところが状況が変わってきた。
頁岩瓦斯(シェールガス)なる新資源が実用化されたのだ。
これまで資源化の不可能であった地層を水圧破砕し天然ガス成分を分離することに成功したのだ。
米国はにわかに活況を迎える。
埋蔵量が非常に潤沢であること、従来より非常に低コストで天然ガスを利用できることは勿論、相対的に中東への依存度を下げることが可能になった。
「中東へのコミットを従来より控える」
大統領は非公式ながらそう発言したという。
これは中東諸国の自立を認め促すという名目ながら、その実は当然「リスクを侵してまで無理に関わる必要が減った」という意味だ。
年々頁岩瓦斯はその生産量を増やし、ガスからオイルを精製する技術にも目途が立ちつつあるという。
無論、中東に影響力を残しておきたい一部の富裕人種の勢力、各軍需メーカーに反対する者もいたかもしれない。
しかしそれらも所詮は商売人である。
文字通り降って湧いた頁岩瓦斯の恩恵にわれ先に飛びつく方が優先されたのは想像に難くない。
帝国では頁岩瓦斯の埋蔵はほぼ無いらしい。
しかし先日緋緋色金発見の近くで発見された結晶化天然瓦斯がある。
あれが実用化されたら帝国も中東にような「気難しい友人」から解放されるかもしれない。
ともあれ今は海軍派遣部隊の無事を祈ろう。
inserted by FC2 system