空軍技術研究所

〜その19〜                                           


日記 皇紀2664年6月14日 相馬馬助

昨日の夜行は完全に寝たままで、終点が東京駅で助かった。
車掌に起こされるまで気がつかなかったので、途中の駅が目的地なら完全に寝過している。
便所にも行かず眠りっぱなしだった。
だが久々にまとまった睡眠が取れて助かった。

早速府中に、と行きかけて思いとどまる。
久しぶりの帝都だ。
やはり皇居をお訪ねせねば。

現在の皇居は伝え聞く昔のように警備厳重というわけではない。
陛下の護りに近衛中隊が配備されており、銃を持った兵によって警備されているが、物々しい雰囲気はない。
お堀の周囲をジョギングする人もいれば、地方から来たのか茣蓙を敷き吹上御所に向かってひたすらに望拝されている老人もいる。
わたしも威儀を正し皇居に敬礼する。
陛下にお会いしたことはないが、帝国臣民として、三軍の総司令官として、やはり特別なものがある。
軍から俸禄をいただいている身として感謝し、陛下のご健康をお祈りして辞した。

梅雨入りも近いと思うが今日はいい陽気だった。
やはり千歳に比べるとずっと暖かい。
出身が静岡なので、最初は北海道の寒さに慣れなくていつも泣きごとを言っていた。
二重橋からぐるりと吹上御所の方まで回ったため、もう少し足を伸ばして靖国神社に参拝し、市ヶ谷の駅に着いた。
駅から見れば目の前は空軍市ヶ谷基地だ。
加藤少佐もここに机がある。
航空総隊の司令部は府中だが、空軍幕僚部はこちらに司令部がある。
そしてここの最高責任者が空軍のトップ、空軍幕僚長 田母神俊英空軍大将だ。
数回遠目でお見かけしたことがある程度だ。
どちらかというとタカ派の発言が多く、時に物議を醸す。
しかしハト派の軍人など有事の際にどうも信用なるまいと、わたしあたりは考える。
今回市ヶ谷には用はない。
別に加藤少佐も寄れとは言っていなかったのでそのまま中央本線のホームへと向かった。

府中基地はやや不便で、中央本線で行くと乗り換えが必要になる。
新宿駅で京王帝都電鉄に乗り換えて東府中で電車を降りた。
ここから北へ数百m行けば空軍府中基地がある。
都心に近い賑わった地域であるが、ここの基地はなかなか広大な敷地を有している。
(※註:現在の航空自衛隊府中基地、北側の府中基地跡地、西側の府中の森を合わせた区域)
ただし滑走路はなく回転翼機の駐機場があるのみで、航空機は横田基地に配備されている。
航空総隊の司令部ほか、府中基地には高射大隊、支援飛行隊、救難飛行隊、教導飛行隊、情報部の本部がある。
ここに籍を置く剣崎ももともとは飛行隊志望でわたしと机を並べていた。
ところが成績はというと学業では剣崎、わたし、折原の順で、実技は折原、わたし、剣崎の順だった。
どうしても操縦士希望が多いものだから成績の悪い者は転科をすすめられる。
剣崎は早くに転科に応じ、勧めにしたがい情報科に入った。
収集、解析、分析をはじめ、潜入等の半ば工作員に近い荒事の実技でもいい成績を収めたらしい。
そういえば喧嘩は剣崎、折原、わたしの順だったな。

「空技研相馬馬助出頭しました」
情報部へ出向くと中佐の肩章をつけた士官が手を挙げて応じ剣崎を呼んだ。
「遠いところ悪かったな」
「任務だよ、気にするな」
最近はメールのやりとりがあるのであまり久しぶりな感じもしない。
「産業スパイか何かか?」
「いや。うーんクレーム処理だな」
「クレーム?」
剣崎の話はこうだった。
海軍で今導入中の新型機において受入段階で整備不良が相次いだそうだ。
一応補修ができて試験を続けると不具合が再発する。
これは何やらおかしいということでちょっとバラしてみたのだが、どうもわからん。
発動機自体の不調や設計上の欠陥なら重大なことになりかねない。
海軍は発動機メーカーに調査を依頼したが「問題なし」という。
機体メーカーにも調査を依頼したが、こちらも「従来機の改良であり問題なし」という。
立ち入り検査もしてみたがうまく煙に巻かれてしまう。
いっそのこと今回の新型機に無関係な空軍で調査をして原因の究明をして欲しいということだ。
海軍に恩を売っておきたいという思惑もあるらしい。
「まさしくメーカーの品質保証みたいな仕事だな」
わたしは半ば呆れて言った。
「軍需産業に関わる会社はどこもつきあいが長いからな。なあなあで済ませたり隠蔽体質になっていたり面倒だよ」
「で、機体にしろ発動機にしろ手をつけてる会社なんてあまり多くないが」
「ああ、機体は三菱、発動機は本田だよ」
予測はできていた。この時期の新型といえば数は限られている。
「よりによって主力中の主力、凄風三三型か」
で、三菱と本田が責任のなすりあいで収拾がつかないので、素知らぬ顔をして悪いのはどっちか調べてこいというわけか。
いやいやこれは一朝一夕にはいかないぞ。
「で、なにか?わたしが一人で立ち入り検査をして原因を調べてこいというのか?」
「まさかそこまでは言わんさ」
剣崎は足元のブリーフケースから分厚い図面の束を取り出した。
「なんだそれは」
「これでも随分絞り込んだんだ」
要は関連部品の図面らしい。
「相馬少尉への任務を伝達します」
有無を言わさない、ということらしい。
「指摘された不適合発生箇所を図面を用いた予備調査に基づき特定。しかる後に実際の製造工程または関連部署を実地調査して原因の証拠を得ること」
どこらへんが技術的考察を述べる任務なのだ。
不良の原因を隠している、または気づいていないメーカーの製造工程に潜り込むという立派な潜入調査じゃないか。
「なお、当任務の補佐として剣崎義晴少尉がつき、任務遂行のためのあらゆる助力を惜しまない」
「…相馬了解いたしました。つつしんで拝命いたします」

量が量だ。空技研に持ち帰って各部に協力を頼んで分担してやるしかない。
「どのくらいかかる?」
剣崎に言われ考えてみたが見当もつかない。
「どのくらいで上げればいいんだ?」
「実は今月下旬に海軍は中東への遠征作戦があるんだ」
「中東もキナ臭いからな」
「その作戦に参加する空母艦載機を対策済みのものにしたい」
「できるか馬鹿」
「やはり無理か」
「できれば馬鹿などとは言わんよ」
「ならば可及的速やかに、というよりほかにないな。お前だって空母飛行隊で痛ましい事故が起こったニュースは見たくないだろう?」
嫌なことを言う奴だ。
「ふた月ほどはみてくれ。あぶり出して検証しなけりゃならん」
「わかった」
任務開始だ。ついでに寄り道していこう。

わたしは東京駅まで戻って新幹線に乗った。
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