空軍技術研究所

〜その16〜                                           


日記 皇紀2664年5月25日 堀井円蔵

昼過ぎに千歳の中島少将から電話があった。
「やあ堀井君」
「御無沙汰しております」
同じ少将だが、わたしは出向で民間出身のため序列は一番低い。当然敬語だ。
「来たよ。朝一の奇襲してきやがったよ」
楽しそうに言う。相馬君か。
「行きましたか。思っていたより威勢よく動きましたね」
「ああ、最初部屋に入った時は斬りかかられるかと思ったよ。すっかり緋緋色金を重工で取り上げるって話だと思ってたみたいだ」
「はは、無理もありません」
「堀井君のとこで三菱に寄越せって言わないのに、わたしが言える訳は無いのになあ」
「相馬君はそういった事情は知らないですからなあ」
立場が似ていなくもない中島さんと私は結構長い付き合いだ。
空軍の三菱係と中島係。
そんな風に扱われてきた。
「あれはいい男だな」
「はい」
良かった。中島さんも相馬君を気に入ったようだ。
「工房に籠っていると行き詰ることもありますので、また構ってやってください」
「ああ、そうさせて貰うよ」
「で、こっちの方はどうでした?見込みありそうですか?」
こっち。
それは言うなれば「空軍人型電算機導入推進委員会」というものか。
海軍、陸軍ではすでに実用段階の人型電算機はおそらく戦局、国の趨勢さえ左右しかねない。
予算不足、技術不足だと手をこまねいていれば気がつけば他国から大幅に遅れていることになりかねない。
空軍有志が集まって勉強会を開き空軍での導入方法、開発方針、技術研究などを行っている。
が、もともと予算も人材も不足気味な空軍ではまだ検討段階に過ぎず、一足飛びに実機を入手しても実戦投入にはまだ数年はかかる。
一人でも有望な人材が欲しいのだが、空軍内でもどちらかというと革新的な派閥に入るので敬遠されがちだ。
私としては腹心ともいえる相馬君には是非賛同してもらいたいのだが、こればかりは個人の主義がある。
「どうだろうなあ。いわゆる『機械ごときに大事ないくさを任せられん』とは見えなかったが、電算機を過信して機械に使われるような事態に対して警戒するようなことも言っていた。反対派ではないが慎重派かもしれない」
うーむ、そうやすやすとはいかないか。
考えようによっては飛びついてくるよりは熟慮の結果参加してくれる方が信頼できるが。
「そうですか、様子を見るしかないようですね」
「若いのにしっかりしているよ。わたしがあれくらいの時は空じゃ敵機、陸じゃ女の尻ばかり追い回していたんだがな」
「ははは」
「というわけで射とめられなくてすまなかった」
「いえいえこちらこそ面倒をお願いしてしまい申し訳ありませんでした。それと」
もうひとつ状況を聞きたいことがあった。こっちの方が重要だ。
「どうですか?海軍の反応は」
実は人型電算機の開発状況では陸軍と海軍では方向性に違いがある。
これは特性上仕方のないことだ。
海軍では最小単位が船となる。これを司令官が一元管理して統率行動させることで戦力の効率運用を図る。
一方陸軍では最小単位が兵だ。それぞれが実際に銃を持ち戦車を操縦して戦うわけで、人の脳を一元管理はできない。
そこで陸軍では戦術と戦況把握および対応に人型を運用するほかに、戦況の打開をねらえるような人型歩兵を製造しているらしい。
これを司令電算機で統括し現場レベルでの情報の収集、戦闘を指揮するねらいだ。
空軍は中間的な運用になる。
最小単位は航空機だが、歩兵と違って機械だ。電算機の眼は行き届きやすい。
では実際にどうするか。
人の代わりに電算機操縦士を乗せるのか?それなら無人機が開発されればいい。
しかしながら人型電算機といえど万能ではないだろう。
無人機を100機飛ばして一元管理させ、それぞれが敵機と格闘戦をやって全機撃墜被害無しといくものかどうか。
これは運用しながらノウハウを蓄積するしかない。
当面の導入は海軍と似通っている。
あちらも空母航空隊は無人機ではないし、人間の報告もデータとしてインプットできると聞いている。
そこで海軍の開発部に内々に資料や資材、できれば完成体の供与を打診したのだ。
あくまでも研究目的として。
「けんもほろろだったよ」
うーむ、こちらもやすやすとはいかないか。
「開発で知っている人間に聞いたはずなのに、突然海軍軍令部が出てきた」
なに?
「どういうことでしょうか」
「『人型電算機の情報は海軍では軍令部の専任管理事項なので勝手な真似は慎んでいただこう』ときたもんだ」
「穏やかではないですね。間諜扱いだ」
「まあ情報の秘匿は大事だからな、ピリピリするのも仕方ないかもしれん。これは正面玄関から行くしかなくなったよ」
ことらも様子見だ。
「慎重にいきましょう」
「そうだな」

電話を切って一息。
思い起こせば空軍と関わり続けてきた半生。
実際に軍服に袖を通してからも長いが、ようやく楽しくなってきた。
航空機開発で実績を作れば作るほど、立場ばかりが上になってしまい現場から遠くなった。
これも年齢で仕方ないことなのかもしれないが、もうちょっと腕があれば、今は空技研にいる相澤さんのように一生を現場で過ごしたかった。
仕事の種類がふえて、面白い若いのが育ち、今は驚くような技術革新の只中でその変化を実際に目の当たりにできる。
これはこれで面白い。
ようやくそう思えてきた。
きっとまだまだ面白くなる。
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