空軍技術研究所

〜その15〜                                           


日記 皇紀2664年5月25日 相馬馬助

朝8時では薄暮でもなんでもないのだが、気分は空母戦闘隊だ。
車を使おうとも思ったが、なにやら気分が高揚している。
気候も暖かくなってきたので自転車を借りて千歳基地へ向かうことにした。
空軍と帝国の将来に貢献する例の貴重な資料はブリーフケースに入れて、なんと自転車の前カゴに揺られている。
空技研のある空軍札幌技術試験場は札幌という名前がついているものの千歳市にある。
射爆場や試験センターとともに空技研の建屋が建っている。
ここから千歳基地までは自転車で行くなら30分くらいだろうか。
私は初夏の風の中を傍目にはのんきにペダルをこいでいる。
ちょいとそこまで煙草でも買いに行くような風情だ。
一度は1種礼装でも引っ張り出してやろうかとも思ったが、なにかの行事でもあるのかと思われても困るので、作業服装に簡易服を羽織っていくこととした。
どうせどうあがいても技術士官なのだから中身が変わるわけでもなし。
箪笥の奥の飛行服装という手もあったか。冗談だが。

基地正門に着くと歩哨に声をかける。
「空技研 相馬馬助少尉です。中島少将閣下にお約束があり、お取り次ぎをお願いします」
「は!少尉殿、失礼ですが軍手帳を拝見させてください!」
手帳を渡す。
この手帳には所属の印影、賞罰経歴、軍人勅諭などが載っている。
年配の軍人は今でも軍人勅諭から教育勅諭、戦陣訓にいたるまで内容の全てを暗誦できる。
今では暗誦できなければ鉄拳制裁ということも減ったので私は半分も覚えていない。
ただし陸軍は今でもあらかた暗誦できるらしいが。
「確認いたしました!少々お待ちください!」
歩哨は照合端末を使って私の手帳を走査すると電話で何事か会話をした。
「お待たせいたしました!お入りください!」
私は返礼し中に招き入れられた。
平時とはいえ前線基地にはどことなく緊張感がある。
空技研はもとより岐阜基地もほぼ開発専門なので張りつめた感じはあまりしない。
案内の兵に連れられて司令官室に着く。
「司令官殿!相馬少尉をお連れしました!」
「入れ」
堀井少将とは違って直属でもなければ、面識もない将官だ。
しかも今のところ相手方の意図もわからない。
否応にも緊張する。
「空技研相馬入ります!」
扉を開け敬礼をする。
中島少将は司令官室の机から立ち上がると返礼して座った。
小柄で人のよさそうな人だ。
表情はにこやかだが、さすが歴戦のパイロットという風格も感じられる。
「わざわざ来てくれて済まないな。楽にしてくれ」
「はっ!」
敬礼なおれ。
さあどういうふうに切り込んだものか。
「わたしはもともとは海軍のトンボ屋でね」
中島少将は話し始めた。
「存じております。優秀なパイロットであったとうかがっております」
「どうだろうな。成績を気にして乗ることはあまりなかったよ。僚機の無事と自分が生きて還ることばかり考えて遮二無二飛んでいただけだった」
机の上の模型は中島飛行機の生んだ古い名機四式戦「疾風」だ。少将はそれをいじりながら話を続ける。
「空軍ができてすぐわたしは志願して空軍にきたのさ」
「それは存じませんでした」
てっきり中島のパイプ役として戦果もあげている中島少将は引き抜かれたものと思っていた。
「空軍といえば飛行機の専門屋で、新型にもバンバン乗って楽しいんじゃないかと思ったんだ」
冗談とも本気ともつかない顔だ。
「だが当てが外れて仕事といえば挨拶や訓示ばかり。これなら海軍に残って船乗りになった方がマシだと思ったことも何度もあったよ」
「ですが司令官殿ほどの戦果があれば地上勤務で重責を担うことも充分ありえたと思われます」
「当時の仲間は海の上で楽しそうにしてるのもいるよ」
誰を指しているのか。
「だがせっかくこうしてメシを喰わせて貰っている空軍が今は気に入っていてね、飛行機の専門屋のはずなのに機体調達さえ陸海軍の後塵を拝するのが歯がゆかったよ」
たしかに新型機が配備されるのは陸海軍が先で空軍は二次納入以降がほとんどだ。
「空技研ができた時もパッとしなくて」
と少将は少しすまなそうな顔をする。
「当初は空軍最高の頭脳集団になると言われていたのに、いつのまにか閑職扱いになっていたしな」
「小官も学はあまりない方なので申し訳ありません」
「いやいや謙遜しなくていいよ。転科で機関大学に行く者などほとんどいないのに途中入学で上位の成績だったと聞いているよ」
死に物狂いで勉強してようやく10位に入れるかどうかだったが。
「君が来てからの空技研は見違えた。真神はあっという間に試験飛行まで漕ぎつける、改良した機体は上々の結果を出して62計画は開始されると目覚ましい成果だよ」
「恐れ入りますが、真神の成果は前任の技術者の努力の賜物であります。それによって62計画が始動したのであればやはり前任の手柄だと思います」
「それに今度は画期的新素材の発見だというじゃないか」
そらきた。
「それも日本軽金属の研究員によってもたらされたものであり、小官はなんら寄与するものはありませんでした」
「まあそう言うな。ツキがあるとすればそれも才能であるし、君が新素材の研究を依頼していたからこその発見ともいえる」
まあ、そう言ってしまえばそうなのだが。
「身に余るお言葉であります。つきましては件の新素材のサンプルと資料をお持ちしております」
「わざわざすまないな。難しい技術資料は見てもわからんのでサンプルを見せてくれ。できれば説明つきでな」
「は!承知いたしました!」
組成などの秘匿情報は「現在のところ詳細不明」としておいたが、なるべく丁寧に緋緋色金の特長と加工の見通しを説明した。
「チタンの強度にアルミの軽量さとコスト、そして耐久性は高いわけか」
「はい、おおよそそのような特長になります」
「素晴らしいな」
いよいよ来るのか?
「新型機の名前は決まっているのか?」
「いえ、まだであります。開発仮称として62甲とそのまま呼んでおります」
「なんだ、味気ないな」
「申し訳ありません」
中島少将はふむ、と腕組みをして考えた。
「この機体は何を目指して作られているのかね」
「は?」
「それは当然堀井君が設計し、空軍や陸海軍の仕様要求を満たすために試行錯誤され、空軍初の独自制式機の採用を目指している」
「はい」
「君は、君個人はこの機体に何を夢見て何を求めて飛ばそうとしているのかね」
これはまた意外な質問だった。
何を…
自問してみる。
それと同時になんとなくではあるが、この問いは中島少将の核心に触れるものではないかと思えた。
では、飾らず、偽らず応えるのが正しいのではないか。
「それほど大それたものはありません」
「ほう」
「皆さんの思いを受け継ぎ背負った空技研とそれを形にすべく生まれるものであると考えています。今は遮二無二より良いものを作るために励むのみであります。ただ…」
と一旦言葉を切る。
ここからが多分重要なのだ。
「帝国には今革新的技術が数多くもたらされつつあります。そうした戦の中心を担っていくのは新型の電算機であると小官は考えております」
あえて人型とは言わなかった。自分自身あれがどういったものでどれほどのものなのか把握していない。
夢想で形を与えるのは危険だ。
「よって、我々の目指す航空機もそれらと親和性の高い、あるいは積極的に取り入れたものでなければならないと思われます」
電子戦、情報戦が戦争の主役になってきている。ただ私には譲れない部分がある。
「しかしあくまでも決戦を行うのは人間です。どれほど高度な電算機があってもそれに攻撃命令を出し、またトリガーを引いて敵を殺傷するのは人間であり、決意であります」
電算機が人を殺すとしたら、それはそうプログラムした人間の意思なのだ。
明確な殺意だけが敵を殺す。それを忘れた時に人は機械に喰われてしまう。
「よって我々の目指す航空機はまた、先進的な戦闘の中でも色褪せない価値を発揮し、維持し続けるものでなければならないと考えております」
現在の計画内容は総合指揮を私が執っているわけではない。でもこの場に私が呼ばれたならばそれを代弁してやる必要がある。
「小官の夢は操縦士、整備士、指揮官、国民に愛され続けるような不朽の名機を生み出し、それに関わり続けていくことです」
柄にもなく熱弁をふるってしまった。
中島少将は最後までじっと聞いていた。そして少し笑いながら話しだす。
「君も知っているかと思うが、わたしの家筋は本家が飛行機屋だ」
再び疾風の模型をいじる。
「わたし自身は現場に携わったことはないのだが、試験飛行操縦士を買って出たことも一度ならずあるよ」
疾風を取り上げて窓ごしに空にかざす。
「あの熱はいいな。ほだされるものがあるよ」
眩しそうに目を細めた。
「今度はわたしも空技研にお邪魔させて貰って構わんかな」
なんとなくこの人が私を呼んだ理由は、緋緋色金を中島に供与させることが目的ではないと思えてきた。
だからと言って何なのかはわからないが。
「もちろん歓迎いたします!」
「ありがとう」
中島少将は私に向き直り破顔した。そしてまた一層笑ってにかーっとした笑顔になった。
「しかしだな、我が中島重工も負けておらんぞ」
いたずらっぽく言う。
「現在飛電を大幅改装して驚くような新機能を搭載したものを計画中なのだ。見たら驚くぞ」
「完成の暁には是非拝見させてください」
「ああ、大歓迎だ」
その後、中島少将は飛電・改について多く語ってくれた。
ところどころに登場する「さる新技術」というのは人型電算機のことであることは明らかだった。
それからも中島少将は空軍への人型導入を推進しているのだとうかがえる。
それをわざわざさらして見せる意味はよくわからない。
意思表示なのか?

「楽しかったよ相馬君、重工でつきあいがあるせいか技術畑の人間と話すのはとても楽しい」
「光栄です」
「緋緋色金と62甲、わたしも楽しみにしているよ」
「御期待に沿えるよう全力を尽くします」
時計を見ればもう昼前だった。
長居の非礼を詫び、私は千歳基地を辞した。
また自転車を漕ぎつつ考える。
「何が目的なのかわからないままだった。拍子抜けしてしまったな」
いろいろ考えを巡らすが結局これといった答えにあたらない。
「中島少将も飛行機好きということだけはわかったが」
ただ「新技術ができたら見てみたい」というだけとはまた違う気もする。
なんとなく、だが。

出撃時の高揚にくらべると釈然としない気持ちで空技研に帰ったのだった。

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