空軍技術研究所

〜その8〜                                            


日記 皇紀2664年4月11日 相澤哲治

なにやらうちの大将が目に見えて生き生きしている。
あの人も根っからの飛行機馬鹿なのだとこういう時に実感する。
堀井さんに会ってきたそうだ。
俺も堀井さんには随分御無沙汰している。
今やそう簡単に会えないお立場の人になってしまわれた。

もう20年前になるが、俺は仲間と一緒に金属加工会社をやっていた。
会社といっても俺とそいつとふたりっきりでやっている小さな会社だった。
ところがひどい不況になり食うや食わずの有様になってしまった。
ある朝作業場に出るとそいつはクレーンにロープをひっかけて首を吊っていた。
遺書があり、自分が死んだあとは会社の資産はすべて俺に譲ること(要は売り払って借金の返済の足しにしろということだ)、残す家族のことは死亡保険金でなんとかなると思うので気にはかけてくれということ、そして俺を残して済まんという謝罪だった。
参った。馬鹿野郎が。
俺にも家族がある。遺して死ぬなど考えられん。
泥をすすってでも生き抜いて守ってやらんでどうする。
しかし如何せん厳しい時代だった。俺は仕事を探してほうぼうを回り、途方に暮れていた。
そんな中以前の取引先が堀井さんを紹介してくれた。
当時まだ俺とあまり歳が変わらないようなのに三菱重工の部長だという。
「腕のいい職人を探しているんだ」
堀井さんはにかっと笑って言った。
俺の腕なんか他と比べたことがないのでどれほどのものか知らない。
遮二無二やってきたから自負はある。
そう伝えると堀井さんは試作の金物の図面を出した。
「これを至急頼めるかな。購入品があったら私が買いに行くよ」
「材料は手持ちがあります。大丈夫やれますよ」
堀井さんはまたにかっと笑って
「邪魔しないようにするからみていても構わないかな」
そして仕事にかかっている二日の間、堀井さんは俺の手許を手伝ってくれたりしながらずっとついていた。
「どうでしょう」
完成したものを渡すと堀井さんはあちこち見て頷いていた。
「うん、いいね」
「三次元(測定機)とかにかけなくていいんですか?」
「うん、ちゃんとできたってわかるからいいんだ」
堀井さんは俺に握手を求めてきた。
「ありがとう、また頼むよ。代金は3日後に振り込むよ」
破格の条件だ。普通は月末で締めて翌月の支払いになる。それを言うと堀井さんは
「いいさ。同じ条件で貰ってる仕事だからね。お上は金払いがいいんだよ」
なるほど軍の仕事だったのか、とその時初めて知った。

それから堀井さんはよく仕事を回してくれた。
単価はさすがによかった。しかも点数が多かった。
会社はたちまち立ち直り、気がつけば二年ほどで借金もあらかた終わっていた。
その頃堀井さんに招待され、俺は空軍の式典に出かけた。
「ご覧よ相澤さん。あれが三菱四一式艦上戦闘機の先行量産初号機だ。名を薫風という」
一目みて気がついた。あれは俺が…
「あれはあなたがいなければ形にできなかったんだ。とても感謝しているよ」
「いえそんな滅相もない」
試験飛行に飛び立っていく薫風は言葉にならないくらい美しかった。

やがて堀井さんは軍にまねかれて出向という形ではあるが、軍人となった。
同じくして俺も会社を畳んで軍に志願した。
家族も快く送り出してくれた。
俺を生かしてくれた堀井さん、そして薫風。
俺はそれに一生かけて恩返しをしようと思った。

配属された空技研はできたばかりで予算もあまりなく機械もあまりなかった。
上官は機関学校出とは言ってもどうしても実務がない。
たまにいいのが来ても中島あたりに引っこ抜かれることもあった。
3年前に来た加藤少佐は中でもひどくて、油臭いのが苦手だとか抜かしやがる。
おまけに現場を着任早々の少尉に任せて東京支所にこもっている。
参った。
ところがどうだろう。
この相馬って少尉さんはなかなか面白い。
人にしつっこく機械の扱いを聞いてきていろいろいじるかと思えば、見よう見まねで製図もする。
現場の仕事が一通りこなせるようになるまでは半年とかからなかった。
聞けば兵学校の出で堀井さんに上級機関大学に編入させられたという。
なるほどこれは堀井さんが好きそうな人間かもしれん。
どことなく堀井さんに似た雰囲気のこの少尉が俺は段々気に入ってきて、最初は弟子のつもりだったのに、いつのまにか上官としてちゃんと認識していた。

きっとまたあの薫風を見た時のような心が浮き立つ感じが味わえる。
相馬少尉といればそれがかなうようなそんな気がするのだ。
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